大阪高等裁判所 平成12年(ネ)796号 判決 2000年7月27日
控訴人
西川良則
控訴人
岩田敏明
右両名訴訟代理人弁護士
佐伯雄三
野田底吾
小泉伸夫
被控訴人
川崎製鉄株式会社
右代表者代表取締役
江本寛治
右訴訟代理人弁護士
大藤潔夫
主文
一 控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が,控訴人らに対して平成8年2月1日付けでした「神戸総務部付甲南ゼネラルサービス株式会社出向」を命ずるとの職務命令がいずれも無効であることを確認する。
3 訴訟費用は第一,二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文同旨
第二事案の概要
一 原判決29頁10行目の「(四)」を「(三)」と,31頁3行目の「(五)」を「(四)」とそれぞれ訂正し,次項のとおり付加するほか,原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」(原判決3頁1行目から31頁4行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
二 控訴人らの主張
1 本件出向に当たっては,控訴人らの個別の同意が不可欠であり,右同意のない本件出向命令は無効であり,就業規則や労働協約(出向協定)の定めでもって右同意に代えることはできない。
すなわち,以下において,(証拠略)の意見書を敷衍するとおり,民法625条1項の趣旨,労働条件対等決定の原則,及び出向については出向先との二重の労働契約が成立すること等から,出向に当たっては,当該労働者の個別の承諾が不可欠であり,被控訴人における就業規則や労働協約の定めは一般的抽象的な定めにすぎず,いずれも労働者の個別の承諾と同一視すべきものではないから,あくまでも労働者の具体的な承諾が必要と解すべきである。
(一) 民法625条1項は,「使用者ハ労務者ノ承諾アルニ非サレハ其権利ヲ第三者ニ譲渡スコトヲ得ス」と定める。雇用契約が,賃貸借や売買と決定的に異なるのは,債務者たる労働者は債権者たる使用者の指揮命令に基づいて労務を提供するという債務の履行が労働者の人格と分かちがたく結びついているという特殊な関係に存する。こうした特殊な関係は,労働者の同意という事実のみで正当化される。指揮命令は強度の人格的色彩を持っており,労働者は,誰から指揮命令を受けるかについても重要な利害を有している。そうしたことから指揮命令権者の交替は,労働者の同意なくしては許されないという原則が生じたのであり,民法625条1項はその原則を明らかにしたものである。現代企業においては,仮に労働条件が同一であっても,誰の指揮命令かという問題が,服務規律,職場規律,職場の雰囲気,企業のステータス,福利厚生制度といった形をとってあらわれ,これらは当該労働者にとっては無視しえない関心事である。ましてや,従来の仕事内容と全く異なる職種を命令された場合には,労働者の承諾は不可欠といわなければならない。以上のことから,出向に当たっては,当該労働者の個別の具体的な同意が不可欠なことが明らかとなる。
(二) 労働条件対等の原則
労働基準法は2条1項で「労働条件は,労働者と使用者が,対等の立場において決定すべきものである」と定める。また,同じく労働基準法(以下「労基法」という。)は15条において,使用者に対して,「労働条件を明示」する義務を課している。労働基準法施行規則5条1項1号の2は,使用者が示すべき事項の1つとして「就業の場所及び従事すべき業務に関する事項」をあげる。これらの規定の趣旨は,指揮命令権者の変更や様々な労働条件の変更を伴う出向が,当然当該労働者と使用者が対等の立場で具体的に決定されなければならないことを示している。
(三) 出向における二重の労働契約
出向は,形式的には出向元との労働契約はそのまま残っている点で出向元との労働契約が消滅してしまう転籍ないし移籍と異なるが,出向先との労働契約が成立していると考えられる点では共通点を有する。転籍に,当該労働者の個別の同意が必要なことは確定した学説判例であり,転籍が新たな労働契約を締結するという面で労働者の同意が必要とされるのであるなら,出向においても同様であるから,労働者の個別の同意が必要と解すべきである。
特に,復帰を前提としない「雇用調整型」の出向においては,出向元との関係は極めて希薄になり,転籍と区別して扱う理由はないから,出向先や条件が特定されたうえでの当該労働者の個別的具体的な同意が必要といわなければならない。
(四) 「承諾」(同意)の具体性について
(1) 就業規則の定めとの関係について
被控訴人の就業規則39条1項は,「業務の都合により社員に…国内他会社への出向…を命ずることがある。」と定める。しかし,右規則の定めをもって本件出向命令の根拠とすることはできない。なぜならば,第1に,就業規則は使用者が一方的に定める制度であり,これに過大な意味を認めるべきではない。第2に,労働者に就業規則の内容は提示されることは稀であり,就業規則の記載をもって労働者の承諾と同一視するのは甚だしい擬制である。第3に,労働条件の一方的な不利益変更は厳格に規制されるにもかかわらず,出向に伴う不利益については事実上労働者の同意を得ているという虚構に基づいて厳格な審査がおろそかにされている。
以上の趣旨から,就業規則の一般的な定めをもって,労働者の個別の同意に代えることはできない(ママ)
(2) 労働協約の定めとの関係について
被控訴人の労働協約33条は,「会社は業務の都合により組合員に…国内他会社への出向…を命ずることができる。」と定める。しかし,右協約の定めを本件出向命令の根拠とすることはできない。第1に,個々の労働者のほとんどは労働協約の膨大な内容を認識していない。したがって,労働協約の内容を個々の労働者の意思と同一視するのは,就業規則と同様に擬制ないしは虚構である。第2に,労働協約で個々人の出向義務を創設しうるかという根本問題があるが,集団的,画一的規整に適さず個々の労働者の決定に委ねるほかない問題については,労働組合法16条による労働協約の規範的効力を持ちえないと解すべきである。退職等の労働者の地位の得喪は労働協約による一括した扱いには適しないとされるところ,これと同一視しうる労働条件の変更たる出向についても妥当する。以上の趣旨から,労働協約の一般的な定めをもって,労働者の個別の同意に代えることはできない。控訴人らが採用時予想もしえなかった「弁当配達」や「緑化清掃」の仕事を命じるについては控訴人らの個別の同意が必要と解すべきである。控訴人らは,工業高校を卒業して鉄鋼関連製品を生産している被控訴人に採用された上,技能社員として被控訴人に勤務してきたのであり,被控訴人社員である限り,鉄鋼関連の仕事に従事して定年まで勤務することとして処遇されてきた。控訴人らにとって,「弁当の配達」や「緑化清掃」の仕事を与えられることは全く予想外のことであり,控訴人らのこうした期待は十分保護に値する。したがって,本件出向命令については控訴人らの個別の同意が必要であり,控訴人らの右同意がない本件出向命令は無効である。
(五) 仮に,労働協約等の一般的な定めが出向命令の根拠となりうる場合があるとしても,本件出向命令には妥当しない。すなわち労働協約に定める出向は,復帰することが予定されている出向についての定めであり,本件出向のように,定年まで復帰することが予定されていない雇用調整型の出向については協約の対象外であるから,その点でも労働協約の右の定めをもって本件出向命令の根拠とすることはできない。
2 仮に,被控訴人が本件出向命令をなしうる場合があるとしても,本件出向命令は,次の事情に照らし,権利を濫用したものとして無効と解すべきである。
(一) 控訴人らは,技能社員として被控訴人に入社して,以来20年以上にわたり鉄鋼関連のメンテナンス技能者として川鉄マンとしての誇りを持って仕事に励んできた。しかし,本件出向先の主要な仕事の1つである「弁当配達」は,1日800食,1トンにも及ぶ弁当を階段を昇降して配達する重労働であり,控訴人らの肉体的負担は従前の技能者としてのそれの比ではない。弁当配達といい,緑化清掃といい控訴人らが従前携わっていた技能者としての仕事と比べて誇りを持てるものではない。しかも,この違いは合理的な説明の仕様がない。
(二) 労働時間,賃金面での不利益性について
年間所定労働時間の差は,59時間であり,出向手当が支給されていることによって補填されているとすることはできない。出向手当は,出向による精神的負担を補う目的で設けられたものと解すべきである。
3 本件出向について労働組合の了解を得ている点について
控訴人らも所属する被控訴人川鉄阪神労組は,憲法,労働法の予定する本来の労働組合としての役割を果たしていない。被控訴人と労働組合が癒着していることは,平成8年2月13日に控訴人らが労働組合の役員に対し本件出向についての申入れをした時の話合いの内容が,直ちに労働組合から被控訴人の総務部に伝達されたこと(<証拠略>の記載)により明らかである。本件出向は,控訴人らを特異者と見て,特異者としての処遇をするという被控訴人の姿勢の現れである。労働組合が,使用者の横暴から組合員の利益を守ろうとせず,逆に使用者に協力して労働者の正当な権利,利益を剥奪することに手を貸しているというのが実態である。
4 控訴人らを隔離するための政策としての本件出向命令は目的において違法であり,無効である。
すなわち,甲南ゼネラルサービスは,控訴人らの受け皿として設立されたが,被控訴人の関連会社である神戸企業や神戸食品の業務と業務内容において重複し,独自の事業目的を有しない会社であった。その重要な業務内容のひとつであった神戸食品から受託して行っていた「弁当配達」が平成11年9月1日付けで川崎食品からの受託の仕事に変わったように,決して長期的安定的な雇用確保の場ではなかったことが明らかとなっている。被控訴人が甲南ゼネラルサービスをわざわざ新設して控訴人らに出向を命じたのは,控訴人らが被控訴人の労務政策に不従順な人物として嫌悪されていたからであり,かつ控訴人らが労組内の活動においても,被控訴人と協調して被控訴人提案の合理化にすべて賛成する労組執行部に対してそのいいなりにはならず,自己の信念に基づいて行動するという姿勢を有していたため,その影響力を排除するため,見せしめ的に控訴人らを特別に隔離して管理する必要があったからである。
第三判断
一 当裁判所も,控訴人らの本訴請求はいずれも失当であるから棄却すべきであると判断する。その理由は,次のとおり付加するほか,原判決「事実及び理由」の「第三 当裁判所の判断」の「一ないし三」(原判決31頁6行目から58頁末行まで)のとおりであるから,これを引用する。
二 控訴人らの主張について
本件出向のように,就業規則や労働協約において,業務上の必要があるときには出向を命ずることができる旨の規定があり,それらを受けて細則を定めた出向協定が存在し,しかも過去十数年にわたって相当数の被控訴人従業員らが出向命令に服しており,さらに控訴人らの属する労働組合による出向了承の機関決定もが存在する場合には,出向を命ずることが当該労働者との関係において,次のような人事権の濫用にわたると見うる事情がない限り,当該出向は法律上の正当性を具備する有効なものというべきである。
控訴人らは,控訴人らの主張1のとおり,出向には,労働者の個別具体的な承諾が必要であるとして,<証拠略>の意見書の記載を主たる論拠として,控訴人らに対する本件出向が無効である旨主張するけれども,前記結論とは異なる右意見書の記載は当裁判所の採用しないところである。
また,使用者が出向を命ずる場合は,出向について相当の業務上の必要性がなければならないのはもちろん,出向先の労働条件が通勤事情等をも付随的に考慮して出向元のそれに比べて著しく劣悪なものとなるか否か,対象者の人選が合理性を有し妥当なものであるか否か,出向の際の手続に関する労使間の協定が遵守されているか否か等の諸点を総合考慮して,出向命令が人事権の濫用に当たると解されるときには,当該出向命令は無効というべきところ,前記(原判決「事実及び理由」の「第三 当裁判所の判断」の「二」)で認定した事実のもとでは,本件出向命令には,控訴人らの主張2ないし4を含む右の権利濫用事由を認めるに足りない。
三 以上によれば,控訴人らの本訴請求はいずれも失当であるから棄却すべきであり,これと同旨の原判決は相当である。
よって本件控訴は理由がないから,これを棄却することとし,控訴費用の負担について民訴法67条1項,61条,65条1項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 根本眞 裁判官 鎌田義勝 裁判官 松田亨)